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【嘘解きレトリック】昭和初期の庶民はクリスマスを祝っていた?

【嘘解きレトリック】昭和初期の庶民はクリスマスを祝っていた? 嘘解きレトリック

10話では鹿乃子に内緒でクリスマスを祝おうと皆で準備をしていましたね。

鹿乃子は絵本で見たことしかないと言ってタロを驚かせました。

多分九十九夜町は鹿乃子の住んでいた村よりはかなり都会だったのでしょうね。

さて、昭和初期にクリスマスは庶民にどのぐらい浸透していたのでしょうか?

【嘘解きレトリック】昭和初期の庶民はクリスマスを祝っていた?

結論から言うと都会ではすでにクリスマスを祝っていました

クリスマスはキリストの生誕祭ですが、実はキリストの誕生日はっきりとはわかっていないのです。

4世紀初頭の教会では12月25日と定めていました。これはローマ暦の冬至に相当する日だったのですね。

もちろん日本でもキリスト教が伝来した時にはクリスマスはキリスト教徒がお祝いをしていました。けれども庶民は知らない行事でした。

その後日本は鎖国に入ってしまったのでオランダ人たちはキリスト教を禁止する江戸幕府に配慮しつつ、自分たちがクリスマスを祝うため、オランダの冬至の祭りという名目で「オランダ正月」としてクリスマスを開催していました。

日本にクリスマスが浸透したのは明治時代

1900年(明治33年)に明治屋が銀座に出店し、クリスマスを祝う商品が売り出されたのがきっかけと言われています。

明治屋ではクリスマスツリーを飾り華やかな演出をしました。

また不二家でクリスマスケーキの発売も始まりました。

明治屋は明治44年に創立の食料品・酒類の製造・販売・輸出入等を行う会社です。

現在も存在しているその建物は中央区指定有形文化財に指定されています。

また日本でコカ・コーラを始めて販売した会社でもあります。

昭和初期にはクリスマス商戦はあった

昭和2年には大正天皇の崩御の日12月25日が休日となり、クリスマスを祝うことが浸透し始めました。

当時の朝日新聞には「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでに普及していたようです。

また昭和4年12月25日の新聞広告にこういうものがありました。

「久能木パーラーのクリスマスサービスとスペシャルコーヒーの宣伝」
「二十五日クリスマス当日来店のお客様にはお土産にお菓子を進呈。久能木パーラーはマキナエスプレス設備し、独特の配合と挽立の香り高いスペシャルコーヒを一杯毎に入れコーヒ通のご賞味を博しています。ホントに御美味しいコーヒの久能木パーラー」

引用:現代メディア

昭和初期には、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェや喫茶店で、クリスマス料理の献立を用意していました。

また店員はクリスマスのコスプレも始めていたようですよ。

昭和初年にはクリスマスの過ごし方のマニュアルも

クリスマスをっもっと一般的に浸透させようとクリスマスの準備や過ごし方の記事もたくさん登場したようです。

昭和初年のクリスマス風景

昭和6年(1931年)の新聞家庭欄には、「近づくクリスマス かうして祝いませう 本格的な祝い方の順序」と題した記事が掲載されていました。そこには当時の家庭でのクリスマスの過ごし方が詳しく書かれており、まるでタイムスリップしたような気分になります。

クリスマスツリーの飾りつけ

記事によると、最近では欧米でも室内に大きなツリーを飾る豪華なスタイルは減少していると記されています。

これは新聞情報なので信じるしかありませんが、さらに驚くのは、「日本の見越しの松」のような前庭の木やヒバに赤や青の豆電球を飾るという話です。

見越の松とは塀ぎわにあって外から見えるようにした松の木のこと。

その当時はもみの木なんてないし、一般の人にはツリーの感覚がないでしょうから自宅にある松の木で代用しようというものなのかもしれません。

プレゼントとご馳走

マニュアルには子供たちが寝静まったあとにプレゼントを置き、翌日は昼に「クリスマスヂナー」を楽しむとなっていました。

七面鳥を食べるのが一般的で、「子供が喜ぶ色鮮やかな料理」が並び、テーブルには二銭三銭程度のお菓子がまかれて賑やかに彩られたとか。

駄菓子をまいていたのでしょうか?この時代に七面鳥を用意するのはなかなか大変そうですね。

夜は家族でゲームを

昼に豪華な食事を楽しんだあとは、夜は家族全員でトランプやダンス、歌を楽しむ時間。

「七歳八歳の子供もレコードに合わせて踊ったり、歌ったりして夜更けまで遊び疲れる」とあります。

子供たちがこんなふうにダンスに興じる姿を想像すると、彼らが大人になったころ、ダンスホールが賑わうのも納得ですね。

昭和初年の家庭の風景

これが昭和初年のクリスマスの過ごし方。とマニュアルになっていますが、実情は時かなり違っていたのではないのでしょうか?

雑誌などはトレンドを作ろうとあたかもみんなクリスマスを祝っているよ、さあ、みんなもやってみよう!と言うスタンスだと思いますので一般家庭でここまでやることはなかったでと想像します。

クリスマスケーキはいつから食べられるようになった?

クリスマスケーキが一般に浸透したのは終戦後、1950年ごろと言われています。

これは進駐軍の兵士たちがクリスマスにケーキを食べたことの影響と甘いものに飢えていた日本人がデコレーションケーキに憧れていたからだと言われています。

ところがアメリカではクリスマスにデコレーションケーキではなくを食べる習慣がないのです。
クリスマスにはクッキーを食べるんですね

アメリカ兵士がクリスマスにケーキを食べるのは独特な風習でしたが、それを見た日本人がクリスマスにケーキを食べるものだ、と勘違いしてしまったようですね。

【嘘解きレトリック】昭和初期の庶民はクリスマスを祝っていた?まとめ

昭和初年にはクリスマスは一般庶民にも知られたイベントであったようですが、今のようなツリーを飾りクリスマスケーキを食べてはいなかったようです。

雑誌や新聞なので啓蒙はしていたようですし百貨店や喫茶店などではクリスマスメニューを用意していたようなので都会に住む人たちはクリスマスを楽しんでいたのではないのでしょうか?

地方に住んでいる人たちは鹿乃子のように見たことはある、聞いたことはあると言う人の方が多かったのだと思います。

本格的にクリスマスを祝うようになったのは戦後日本が復興してきた頃のようです。

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